2011年 5月 15日 更新

江戸情緒を尋ね日本橋界隈を歩く

                             篠崎史朗

日本橋の橋名の起源には、諸説ある中で、「この橋の川下には江戸橋があり、又京都に向かった銀座口には京橋があったので、江戸でも京都でもない日本の中心の橋と言うところから生まれた呼称だ」との説に最も説得力があるよう思える。現在、橋畔に立った記念碑も「徳川盛時二於ケル本橋付近ハ富賈豪商ヲ連ネ魚市アリ酒庫アリ雑閙沸クガ如ク橋上貴賤の来往昼夜絶エズ」と、江戸開府以来日本の中心としてのこの橋の存在を形容している。

今回の企画はこの日本橋界隈を歩く趣向で、“江戸情緒を尋ね”と大見得を切ったが、幾世紀を経て
江戸や明治の面影が今にあろう筈もなく、所詮は想像カ逞しく歴史書を読むように歩くこと以外にはないと承知しなければならない。

しかも歩く範囲もわずかであった。本石町一丁目の貨幣博物館を起点に一日本橋川沿いに旧按針町の脇を江戸橋・人形町方面へ進み、小舟町の先を堀留町の方へと北上し、大伝馬町・小伝馬町を巡ったあと、本町四丁目へと向きを変え、室町三丁目を経て三越前に戻ると言う日本橋北部の申し訳ない程の狭い範囲でしかなかったのである。参加者の方々も恐らくそのように思ったに違いない。

然し、詳細な説明を省くとして、この界隈こそが多数の間屋を中心に、職人町、魚河岸を含む一大商
業ゾーンとして、永く江戸の繁栄を支えた中心地域だったのであり、今回は紛れもなくその地域を歩いたのである。

何故この地が栄えることになったのか。それは豊かな水辺と言う天の恵みがあったためである。江戸
時代の初期頃、この地にはあちこちに海が入り込み、川が注ぎ、その後幕府が戦略的な埋立工事などを行い縦横に堀も造られて水路が発達し、これがこの地に繁栄をもたらすことになった。最早、町名にしか名残りがないが、現在の小舟町・堀留町には日本橋川から東西二本の堀川があって、そこには全国各地から江戸向の荷を積んだ多数の荷舟が集まり、両岸には各問屋の倉が並び、年がら年中商人や船頭、荷揚人足などでごった返していた。人で賑わえば、それ目当ての新しい商売が生まれ、町は発展し、更に人を呼び、やがて花柳の巷が出現してそこにある種の気分が醸成されることになる。

これにすぐ近くの川のほとりに形成された魚河岸を発祥の地とする“いなせ”(勇み肌の人々が髷を
鯔の背の形に結んだ)の気風が重なり、時を経て次第に多数の共感を誘うこの地独特の情緒へと昇華して行った。所謂江戸情緒の誕生である。

この不思議な情緒に惹かれたのは無論一般市氏だけではなかった。時代は明治・大正となるが、この
地の雰囲気に強く魅せられた文人たちも現れた。

大正初期の作である泉鏡花の「日本橋」は、現在の貨幣博物館近くの日本橋川西河岸を舞台とした小
説だが、劇化され新派の芝居として演じられて好評を博し、それで日本橋が一層有名になったといわれている。

然し今回歩いた日本橋北部となると、何よりも明治末期の若き詩人・画家の芸術談話会であった「パ
ンの会」であろう。木下杢太郎、北原白秋、吉井勇・石井柏亭らを中心とするこの会の集合場所はつねに日本橘川ほとり、又はその周辺の西洋料理店などであった。ヨーロッパもフランスに強烈な憧憬を抱いた当時の彼らは、廣重の大川端の絵に感動したヨーロッパ人の感覚をもって水辺の下町を眺めようとしたのであろう。

 日が落れば河風の肌に冷く
 あれ江戸橋に燈がついた。緑の燈がついた。
 瓦斯の燈さえもゆらゆらと…
 流れる水にゆらるるものを…
 いたいけな声して、
 魚河岸の窓から漏るゝ
     稽古の三味の梅の春さえ
 塀をはずれてほのぼのと
 遠き川口の汽笛の音さへ
 秋となればさびしきものを…
 えんやさの これわいさの よいやな。
   (木下杢太郎詩集「食後の唄」より)

もう一人谷崎潤一郎がいる。彼は明治10年代、現在の人形町一丁目の生まれであった。自ら述懐するようにこの下町に一人の町人の子として生まれ、その時代の種々の文化や風俗習慣の下に育まれ、それを土台として、文豪と言われるまでの小説家になったのである。

更に付け加えれば、日本近代文学史に大きな足跡を残す同人文芸雑誌「文学界」を島崎藤村、北村透
谷らと創刊し育成した星野天知や、この「文学界」の同人でもあった英文学者・随筆家の平田禿木がいる。彼らはいずれもこの地の商家出身であった。

これらは今回歩いた界隈の歴史の一部だが、現在その痕跡はすっかり消えてなくなっている。街は大
小のビルと、その間で押しっぶされそうな商店とで埋まり、殺風景この上もない下町である。

街は時代と共に変わるものである。今、地下鉄三越前駅への地下道の壁に、往時の街の様子のスケッ
チ画がいく葉か展示されているが、脇に附された挨拶文にはこう記されている − 江戸開府以来400
年にわたって橋と共に歩んできた日本橋は、いままた、そのまちの姿を大きく変えようとしている − と。果たしてどのように変わってゆくだろうか。

参加者14名。会食は蕎麦屋「利休庵」にて開催。

        
The Boston Association of Japan
日本ボストン会
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日本橋
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